フユの備忘録

読んだ本の感想などを書いています

アリス・マンロー 「ディア・ライフ」 (後)

アリス・マンロー、「ディア・ライフ

 Alice Munro,  Dear Life

 

 「フィナーレ」4篇で描かれるのは、数十年の時を経てもなお、消化されぬまま心に残るいくつもの出来事、またそれらの出来事にまつわる当時の感情で、その感情の多くは怖れ/畏れ、憤りなど、どちらかと言うとネガティブなものだ。天真爛漫という言葉がこれほど似合わない子供は他にないだろう、と読む側が思ってしまうほど、自意識の強い子であったマンローの姿がそこにはある。マンローは長子だ(母親はマンロー誕生以前に2度の流産を経験した)。長子ならたいてい天真爛漫でいられる期間はおのずと限られてくるものだし、ましてや知力に優れた子供だったわけだからなおさら、いつまでも無邪気を装ってはいられなかったのだろう。

 

 第二次大戦のころのカナダの片田舎での親子5人の暮らし。親から受け継いだ農場を守るだけでは飽き足らない父親は、毛皮の商売で一山あてようと、土地を買いミンクやキツネを飼育するが、商機を逃し、結局工場の夜間警備員として働くことになった。母親は、小さな農家の出自から身を起して教師になった努力の人で、自分自身に対して、あるいは周りの人間に対しても、こうありたい/あるべきという理想の姿がまずありきの人だった。ある時期まで、母親に対するマンローの反発・嫌悪感はなかなか強烈で、「母が口にすることの大部分が嫌でたまらなくなり、とりわけ母があの身震いせんばかりの、わくわくしてさえいるような確信に満ちた声でしゃべるのが嫌でたまらなくなっていた」とまで言っている。だが、その母親も40代という若さで早期発症型のパーキンソン病にかかってしまうと、身支度さえ徐々にあやしくなっていく母親の身の回りの世話をし、先頭きって家事をこなすのは、もうほとんどマンローの役割ということになる。まだ十代半ばのことだ。

 

 思春期の、まだまだ夢を見ていたい年頃の女の子にしてみれば、酷に感じられるはずの家庭環境だ(それでも、マンロー自身は、当時を「不幸せなものとして記憶してはいない」「困難があったにもかかわらず、わたしは自分を運のよい人間だと思っていた」と言っている)。ただでさえ振れやすい思春期のやわらかな心。女で頭のよいことが必ずしも尊重されない時代と土地。野趣あふれるカナダの片田舎での暮らしの些事…。目の前の現実からいっとき逃げるかのように、マンローは本の世界に向かう。毎日、父親を仕事に送り出し、夕食をつくって食べ皿洗いを終えると、町の図書館で借りた分厚い本に没頭した。「銀の森のパット」「赤毛のアン」、「魔の山」、そして書かれていることがほとんど理解できなかったという「失われた時を求めて」。本を読んでいる時間は、ここでないどこかにいることが許される貴重なひとときだったに違いない。

 

 70年ほど前のカナダ・ウィンガムの風俗・習慣を垣間見せてくれるこの「フィナーレ」を、マンローは「単なる実生活の記録」と位置づけているが、読んでいると「フィクションでは…こうはならない」といった表現に出くわす。それも一度ならず。例えば、あるダンスの集いで会った娼婦の、ゴールデンオレンジのタフタのドレスについて言及するとき。

 

もしわたしが実際の出来事を思い出しているのではなくフィクションを書いているのなら、彼女にあんなドレスは着せなかっただろう。彼女には必要のない一種の宣伝だ。

 

 あるいは、父親の毛皮商売がダメになり母親もパーキンソン病を発症するなどして、一家が続けざまに不運に見舞われたことに言及するとき。 

 

これではあんまりだと思われることだろう。商売は駄目になり、母のからだは駄目になりかけ。フィクションならけっしてこうはならない。

 

 探せば他にも似たような言い回しはある。単に現実とフィクションとの違いを際立たせるための言葉に過ぎないにしても、その実、マンローの作品のありようを如実に物語っていて、面白い。一つの細部がかならず他の部分に対するなんらかの理由づけに、しかも過不足のない理由づけになっているのがマンローのフィクションだ。限られた紙片の中で物語が完結する短編小説に共通する特徴だといえばその通りだが、マンローの場合は特に、どんなにささいなパーツも、その一つ一つが全体にとって欠かすことのできないものとして存在している。

 

 完璧に組まれたピースは、けれど、時に息苦しさやあざとさを感じさせることがある。マンローのフィクションを読んでいると、まさに用意周到という言葉がぴったりくるなあと思うことがあるわけなのだが、「フィナーレ」各編は、そんな徹底した作り込み感とでもいうような面が比較的薄いので、読む側もそれほど身構えずにいられるのが、いい。(薄いとはいっても、それでも、読む側の心に深い深い余韻を残す形に仕立ててあって、これがもう何十年も書くことを生業としてきた人の文章なのだなあと、恐れ入ってしまう)

 

 「目」「夜」「声」と、簡潔で感覚的なタイトルが続く中、最後を締めるかたちで登場するのが表題作「ディア・ライフ」だ。その 'dear life'、訳者の小竹由美子さんによると文中では 'for dear life' (「必死で」の意)のかたちで使われているとのこと。

 'dear (「愛しい」「大切な」)life(「人生」「生活」「命」)'  。たったひとつの前置詞が言葉の温度をガラッと変えてしまうことの不思議がある。原語の 'for dear life' の中には 'dear life' の姿がはっきりと確認できるが、日本語の「必死で」の中には、'dear life(「愛しい、人生」)' の姿はよくよく目をこらさないと見えてこない。

 

 心を揺さぶられるのは、その 'dear life' という言葉にまつわるエピソードだ。

 近くに住む気のふれた老女から守るために、乳母車に眠るわが子を必死に('for dear life' )抱き上げたマンローの母。そして、マンロー一家が住んでいた家のルーツを考えると、もしかしたらその時、もう大きくなっているはずの娘を求めて乳母車を探っていたのかもしれないとも想像される、気のふれたその老女。両の母親の、せつないほどの、子を思う気持ち。

 

 それなのに、子というものは。親の思いに寄り添うことができるようになるのは、いつも遅すぎてからなのだ。

 

わたしは母の病の最終段階にも葬儀にも帰省しなかった。二人の小さな子供がいて、バンクーバーには子供たちを託せる人が誰もいなかったのだ。旅行の費用を捻出するのもやっとだったろうし、それに夫は形式的な行為を軽蔑していた。だがどうして彼のせいにする? わたしだって同じ気持ちだった。何かについて、とても許せることではないとか、けっして自分を許せないとか、わたしたちは言う。でもわたしたちは許すのだ--いつだって許すのだ。 (383ページ)

 

 「わたしたちは許すのだ」

  わたしたち。

 その言葉が目に飛び込んできた瞬間、マンローの物語は一気に私たちの物語になる。自らを断罪するかのように放たれるマンローの言葉が、読み手である私たちをぐっと巻き込む。「これはあなたの物語でもある」と耳打ちをしてくる。心の底に澱んで何かあるたびに顔を出す悔悟の念。決して巻き戻せない時間。二度と会えない死者…。子であることの罪深さ・弱さが、この私の罪深さ・弱さとして重く胸にのしかかってくる。

 

 この「ディア・ライフ」を最後に筆を擱くことを宣言したというマンロー。できれば、その決意をひとまず白紙に戻し、マンローが書かなければいずれは消えてしまうことになるマンローと家族の肖像を、書き進め一冊に纏めてほしい。

 

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 以前、篠崎書林という出版社から、モンゴメリー関係の書籍が何冊も出版されていた。その中に「L.M.モンゴメリの島」という写真集があり、本を開くと、そこにはプリンスエドワード島の叙情的な風景が並んでいて、モンゴメリーの書簡から引用した言葉がキャプションのように添えられていた。アンの世界に魅せられた子供にとっては、自分をあこがれの空間へと誘ってくれる夢のような一冊だった。朝日や夕日に輝く入江、広い大地の真ん中を地平線の向こうまで走る一本の道、真っ赤な大地、麦畑、森の小道、輝く湖水などの写真をながめては、美しくないものが何一つ写っていないこんな土地でいつか暮らすことができたらなあなどと、今となっては無邪気すぎて赤面したくなるような思いに駆られたものだ。

 その篠崎書林も、今はもうなくなってしまった。

 

赤毛のアン」とか「銀の森のパット」といったお気に入りの本のどこかになぞらえた、浄化したシーンを自分で作り上げて--- (368ページ)

 

 マンローにとってのモンゴメリー。

 

ディア・ライフ (新潮クレスト・ブックス)