フユの備忘録

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ジュンパ・ラヒリ 『わたしのいるところ』

わたしのいるところ (新潮クレスト・ブックス)

 

ジュンパ・ラヒリ 『わたしのいるところ』

 Jhumpa Lahiri, Dove me trovo

 中嶋浩郎訳 新潮社 クレスト・ブックス 2019年刊

 

 『べつの言葉で』に続き、ラヒリがイタリア語で書いた作品第二弾。長編小説とうたわれているけれど、こまかく46に分けられた章がそれぞれに小さくも完結した世界を築きあげているので、長編に向かうにあたっての気負いは読み手にいらない。読んでいると、もろいように見えてたやすくは砕けないごく透明な水晶の粒を、いくつも連ねて作りあげた繊細な首飾りが思い浮かんでくるような作品だ。

 

 主人公「わたし」は45歳を過ぎた独身女性。娘との同居を望んでいる母を尻目にひとり暮らしを続けている。大学で教え、学会に出席する研究者だが、教える仕事に心を捧げてはいない。同僚たちとはそりが合わないし、職場で過ごす時間を苦痛に感じてもいる。

 

 かつて恋仲にあった優しく美しい男は、いまでは友だちの夫だ。だれにも祝福されない不実な関係を妄想してみることもあるけれど、誠実で家族思いの彼とのあいだに間違いは起こりそうもない。

 

 五年間つきあって一緒に暮らしもした男とは、二股をかけられていたことがわかり、別れた。まだ同じ町に住んでいるその男を通りで見かけることがある。「馬鹿げた夢を追う野心家で、子供っぽい哀れな中年男」だと、今は未練なく切り捨てる。

 

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 バール、レストラン、病院 、美術館にプール ... 。子どものころから住みなれ、今ではその息遣いを感じるまでに馴染んだ町のさまざまな場所で「わたし」は日々を過ごしている。わずかな衝撃があればたちまちくずおれてしまいそうな少女のころの繊細さは失ってしまったとはいえ、それでも、ただ逞しいだけだとも言えない年ごろにいる「わたし」は、行く先々で目の当たりにする出来事のひとつひとつに心を揺らす。一見穏やかなようでいてその実、ひそかな緊張感と葛藤にみちてもいるその日常を、ひとり身の女の生態観察という趣をもってラヒリは描き出していく。

 

 ひとりでいる時にはもちろんのこと、だれかと一緒の時であっても、「わたし」の心を占めるのは常に、ひとり、という意識だ。他者と濃密な関係を築くには、勝りがちな自意識が壁となり一歩踏み込むことができないし、よほどのことがなければむしろ踏み込まなくてよいとさえ思っているようである。「わたし」自身、そんな性格ができあがってしまったのには両親の存在が大きいと思っている。娘の気持ちを理解しようともせずたびたび癇癪をおこした母、妻と娘の間の不協和音にわれ関せずを決めこみ、唯一の楽しみである劇場通いにいそしんだ亡き父。その二人から学んだことがあるとすればそれは、他者に依存せず、なにものからも一定の距離をとるという身の置き方だった。

 

 父、母と気持ちを通わせることがかなわかった過去を抱え--それでも母との間の距離を縮めようと努力はしている--とくべつ仕事に邁進することもなく家庭を築くこともなくきた「わたし」の毎日は、なにかに束縛されることのわずらわしさからは比較的解放されている。週に二度のプールや、月に二度のネイルサロンで気分転換をしたりーーもっとも、気分転換のつもりで行って、心乱れて帰ることもありはするがーー、人影まばらなお気に入りの美術館で太古の人の暮らしに思いをはせたり、バスの運転手とたわいない言葉のやりとりをしたり、他者のものに囲まれ他者のぬくもりをかすかに感じながらひとりの時を過ごしたり。そんな心なごむ時間はすべて、言うなれば、他者の存在を感じながらも決して深入りしなくてすむ関係のうえに成り立っている。

 

 みずから他者と距離をおくようにして生きてきたそんな「わたし」は、ある日、件の元カレ一家の留守をあずかることになる。そこでひとつの家族の歴史ーーそれはつまり家族としての時間の堆積だーーを如実に物語る数々のものを目にし、「家族がいかに巧妙な有機体であり、他人を寄せ付けない集合体であるかを一瞬のうちに理解」させられてしまう。それは、心の底に常によどみ続けてきた、ここはわたしの場所ではない、という感覚が残酷なまでにくっきりと立ちあがる瞬間だ。

 

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孤独であることがわたしの仕事になった。それは一つの規律であり、わたしは苦しみながらも完璧に実行しようとし、慣れているはずなのに、落胆させられる。

 

 「わたし」の感じる孤独は、『べつの言葉で』で明かされたラヒリの孤独とほとんど地続きのもののように感じられる。はっきりとは書かれていないけれど、この物語での「わたし」は、イタリアのある町に暮らすイタリア人女性であるようだ。国籍も身の上も重ならない「わたし」とラヒリだが、どういうわけか、物語の始まりからふたりが同一人物であるかのように読めてしまう。母語にも母国語にも自らのアイデンティティを委ねることのできなかったラヒリ自身の孤独と悲しみが、かたちを変えてここにあらわされているように思われる。『べつの言葉で』で明らかにされたラヒリの内の葛藤が、さまざまな分身となって顔をのぞかせている。

 

わたしたち全部にうんざりして、そのバランスを壊して平衡状態から逃れることだけを望んでいたあなた

 

 母と「わたし」の間のいさかいにいつも背を向けていた父。いまは町なかの墓地に眠る父を「わたし」は墓前で断罪する。「バランスを壊して平衡状態から逃れることだけを望んでいた」その「父」が、読む側にはまるで、母語と母国語(さらには第三の言語)の狭間で苦しんだラヒリ自身の化身であるかのように思えてしまう。また、「わたし」を決して助けはしなかった「父」の姿は同時に、ラヒリにとって救いとならなかった言語、英語のうつし身のようにも見えてしまう。

 

 イタリア語で書くこと。それは自分に自由をもたらすとラヒリは言う。その自由はイタリア語で書くことにまつわる不完全さからくるのだと。だが、おそらくそこにはさらに、英語が象徴するすべてのものから解き放たれ、これまで書けなかった思いをより直截に表現できるという自由もあるだろう。この『わたしのいるところ』には、これまでのどの作品にもましてラヒリ自身の姿が透けてみえる。

 

 居心地のよい町にいながらどこにも根づいていると感じられない「わたし」は、物語の終わりにある決意をするが、その姿もまた、葛藤ばかりを突きつけてくる英語を捨ててイタリアに渡ったラヒリ自身を思わせる。

 

 根づいているという感覚を人にもたらしてくれるものはいったい何だろう。自分という存在がひとつの個として認められ、必要とされ、自分がそこにいることになにがしかの積極的な意味を感じさせてくれる他者の存在--少なくとも「わたし」にとってはそれが、根づいているという感覚につながる要素であるように思える。

 

 そもそも、根づいているとことさらに意識せぬまま置かれた場所になじむことのできている人はいるのだろうか。

 

 と、ここまで書いたのが2月のはじめ。ウイルスが世界を駆けめぐり、多くの人々の命を奪う事態になるなどとは想像もしていなかったころのことだ。上の文章を書いて3ヶ月が経った今、当時と同じ気持ちで作品に向き合うことができないでいる。ウイルスを持ちこめばコロリといってしまうだろう存在がそばにいて、職場に向かうにも食糧調達に出るにもウイルスから身を守るために細心の注意を払いながら過ごす日々が、人出の多寡をのぞけば以前と物理的にほとんど変わっていないはずの周りの景色を、張りつめた空気に満ち満ちた、よそよそしいものへと一変させる。変わったのは景色ではなく、景色を見て、そこに色をつけるこちら側の意識なのだろうけれど。

 

 そして、そんなこちらの乱れる心の内など意にも介さず、季節は移り、緑は芽吹き、太陽は遠く輝く。人間の思惑とは無縁のところで展開される自然のいとなみが、今はなににも増して有り難いものに感じられる。

 

 もし、多くの時間をひとりで過ごす「わたし」が、他者とのゆるやかなつながりをほぼ断ち切られてしまう生活を強いられることになったとしたら。その生活もそれまでの生活の延長線上にあるようなもので、少なくとも表面的には、さほど大きな変化もないままに過ごしていけるのだろう。運命共同体と思える存在が自分にはいないという事実がやがてさらなる孤独を突きつけてくるに違いないとしても。そしてその孤独は、だれかと一緒にいる者にとってもけっして無縁ではないし、それにだれにも接しないことで却って、自分が守られていると感じることはあるだろう。

 

 古井由吉氏が亡くなった。その名前を最初に知ったのは、ムージルの『愛の完成・静かなヴェロニカの誘惑』の翻訳者としてだ。もう15年ほど前になるか、知人に誘われ、氏が出席する牧野信一作品の朗読会に出掛けたことがあった。朗読会後の懇親会で言葉をかわす機会を得て、自分の作品で一番好きなものはなにかと聞いたところ、間髪いれずに「山躁賦です」と答えがかえってきたこと(おそらく同じ質問を何度もうけていただろうし、即答できるほどに氏のなかではどこか会心と思える境地をひらいた作品でもあったようだった)、執筆時にさまざまな苦労に見舞われ、いい思い出がないという『槿』に(ミーハーにも)サインをお願いするという失態を演じたことを思い出す。もし氏が今も生きていたなら、ウイルスに翻弄される私たちの今の姿をどのように見、どのように書いただろうか。