フユの備忘録

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マルグリット・ユルスナール 「追悼のしおり」 (1)

 

 ユルスナール、「追悼のしおり」。  

 2011年、白水社「世界の迷路」シリーズの第1巻として刊行。

  Marguerite Yourcenar,   Souvenirs pieux.

 

   <母・父・私をめぐる自伝的三部作、第一巻>(帯より)

 「とどめの一撃」「ハドリアヌス帝の回想」「黒の過程」の著者で、女性初のアカデミー・フランセーズ会員となったフランス人作家、マルグリット・ユルスナールが、1974年に発表した作品。1年ほど前に読み始めたものの、半分読んだところで中断してしまっていた。今、最初から読み直している。

 

 自分が存在するよりずっと以前の時代の、歴史上の(架空のものも含めて)人物を鮮やかに描きだすことは、ユルスナールの得意とするところだ。この「追悼のしおり」は、ユルスナールの手による、父と母、そしてその一族の年代記。役所に残る古文書や、伝え聞いた話、写真、手紙、メモ類、郷土史や、その他の著作物など、さまざまなソースをより合わせて、18世紀の高祖父母から父母にいたるまでの一族のポートレートを、時代背景を織り交ぜながら描いている。

  

 登場する人物の多くは、ユルスナールにとって、近親者・祖先とはいえ、直接知ることのなかった、過去に生きた人々である。<自伝的>と銘打ってはいるが、「ハドリアヌス帝の回想」等と同種の歴史小説としても読めると思う。ディテールに裏打ちされたエピソードの数々。どこまでが史料を通じて知りえた「事実」で、どこからが著者の想像なのか、その境界がはっきりとは分からないまま、どこか煙にまかれるような気持ちで読み進めるうちに、ふと著者が姿を見せ、数十年、ときには百年超という時を一息に跨がされると、堆積した時間の厚みを感じずにはいられなくなる。描かれる人たちの息遣いまでもが聞こえてくるような場面も随所にあり、そんな場面を目の当たりにすると、まだ生まれていなかったはずのユルスナールに、なぜ、その眼で実際に姿かたちを見ていたかのような、そしてその心の中をすべて知っていたかのような、密度の高い描写ができるのだろうと思って、ため息が出てしまう。もっとも、それこそが、ユルスナールの真骨頂なのだが。

 

 全編を貫いているのは、人間という存在に対する静かな憐れみ。

 

 1903年、ユルスナールは、フランス貴族の末裔である父ミシェルと、ベルギーの良家の出身である母フェルナンドの間に生まれた。母フェルナンドはユルスナールを出産後、産褥熱のために31歳という若さで亡くなっている。母を死にいたらしめた出産。それは同時に著者の誕生の瞬間でもあるが、「追悼のしおり」は、その出産と、母の死をめぐるエピソードで始まっている。

 

 物心ついたときにはすでにいなかった母。その母と自分との間にある微かなつながりに関するユルスナールの言葉は、冷静そのものだ。 

 

数ヶ月間私は彼女の実質を養分として摂取したのだが、そういう事実に関する知識は、教科書で習った真理と同じく、冷ややかなものでしかない。

 

母親を早く喪うのはつねにひとつの災厄であるとか、母親を失った子供は欠乏感や不在の人への郷愁を生涯もちつづけるとかいう断言を、しばしば耳にする。しかし私は、そんな断言は間違っている、とはっきり言いたい。 

 

 自分の誕生と引きかえに命を失った母への感傷は、ここには一切うかがえない。自分の記憶のどこを探しても、姿の見えない人に対して何かを思おうとすれば、案外こんな言葉が出るものだろうか。実際には、フェルナンドを描くときのユルスナールの視線には、そこはかとない優しさが感じられるので、上の言葉が母に対する無関心からくるものではないことが分かってくる。そもそも、関心のない人間について、何かまとまった文章を書こうとなどとは思わないものだから。実際、ユルスナールはかなり若い頃から、自分の家系にまつわる作品の構想をあたためていたという。

 

 さまざまな資料をつなぎ合わせ、生まれた余白を想像力で埋めて、一人の人間を紙上に再現することは、その人間が生きた過程を追体験することに他ならない。母を描く過程でユルスナールは母の人生を追体験した。若くして逝かなければならなかった母。不自由ない暮らしを送りながらも、時代の空気からすっかり自由でいることはできず、自分の居場所を求めてたどりついたのが、父ミシェルとの結婚そして出産であった母の人生をなぞっていくうちに、同じ女性にうまれた者として、ある種もの悲しさを感じたのだろう。何かに情熱的を傾けたり失望したりしながら生きた、まだ若かった母。そんな母に、完璧な出来とはいえないわが子の、その至らなさゆえに、その子を思わず微笑ましく思ってしまう親のような気持ちを抱いたのだと思う。

  

 この作品を描いたときのユルスナールは71歳。登場人物たちの多くは、執筆当時のユルスナールよりずっと若い年齢で亡くなっている。そのせいだろうか、ユルスナールの彼らを見る目は、祖先であるにもかかわらず、まるで自分より小さな者を見ているかのようだ。もっとも、年齢は関係ないのかもしれない。歴史を見続けてきたユルスナールにとって、いつかは死にそして忘れられることを免れぬ人間は、憐れむべき慈しむべき存在であって、登場人物への視線にあらわれているのは、その思いなのだ。

  

 心に残る人物は、フェルナンドの母(ユルスナールの祖母)マチルドだ。20年間の結婚生活で11人もの子供を産み、最後はジフテリア性の喉頭炎にかかり39歳の若さで亡くなった。ユルスナールにとっては、「十九世紀の信心深い妻」のイメージそのものであり、『アンナ・カレーニナ』のドリーにもなぞらえている、心優しき女性。 

 

マチルドは体調さえよければ毎日、夏は五時半、冬は六時に、アルチュールの眠りを妨げぬようにそっとベッドを出て、村の教会の読誦ミサに与かるための身繕いをする。......(略)

教会と館をへだてるのは牧場だけ。マチルドは村の道よりその牧場を横切る近道のほうが好きだ。冬、彼女は平らに凍った氷や雪をできるだけ避けながら、上履きの木靴を褐色の草の茂みに置く。夏、その近道を通るのは無上の楽しみなのだが、マチルドは早朝のミサの魅力のほか、村の道から外れて自由に歩き回る楽しみも加わっているのを、完全には認めようとしない。

 

.......   ふたたび牧場を横切って帰るのだが、行きに踏んだところに足を置く。牧草を踏みつけすぎないようきをつけなければならないからだ。教会の椅子の上で過ごしたいくばくかの時間は、彼女自身そうとは知らぬまに自己への沈潜をふくんでおり、すでに過去のものと思っていた若さを、ほんの一時取り戻させる。彼女のなかを十八歳のころの生気が流れる。ときどき足をとめて、スカートにくっついたとげのある穂を取り除き、子供たちのように粒を指のあいだからこぼす。礼儀にさからって帽子を脱ぎさえする。髪に風の愛撫を感じたいのだ。

 

 

追悼のしおり (世界の迷路?)

 

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