フユの備忘録

読んだ本の感想などを書いています

モーリス・ピアラ 「ヴァン・ゴッホ」

ピアラ 「ヴァン・ゴッホ

 Maurice Pialat,  Van Gogh 1991年/ 160分

 

 シアター・イメージフォーラムで開催されていた没後10年特集上映の中の一本。

 

 ゴッホがオーヴェルの駅に降り立つシーンで始まるこの作品は、37年で終わる彼の人生の最後の2ヶ月間、オーヴェル=シュル=オワーズでの日々を描いている。普通、ゴッホという名を聞いて思い浮かべるのは、「天才」「狂気の人」などの言葉に象徴されるような、人であって人ではないようなものの姿だ。その「狂気の人」というイメージを裏打ちするかのように、冒頭、ガシェ医師の家を訊ねたゴッホが、医師の質問に答えるかたちで発作・頭痛の具合を静かに語るシーンがあり、映画はその後、彼の「狂気」に焦点を当てていくのではないかという予感が一瞬、胸をかすめるが、その予感は快く裏切られ、物語はしばし穏やかに展開していく。

 

 セザンヌはじめ何人もの画家が絵を描くために訪れ、画家村とも呼ばれていたというオーヴェル。カメラは、村の静かな乾いた空気と19世紀末フランスの田舎村の風俗を映し出していく。村人たちに交じって、デッサンに出かけに坂道を下るゴッホ。その姿を照らす、日暮れ時とも思えるような陽の光。静寂の中に聞こえる羽虫の飛ぶ音、風が木々をゆらす音。未舗装の少しぬかるんだ道を歩く女たちがまとうドレスの泥にまみれた長い裾。あたり一面に広がる麦畑。野外でピアノやバイオリンの伴奏に合わせてダンスに興じる人々。激しくステップを踏む足元からもうもうと立ち上る土埃。ゆるやかに流れる川の岸辺でドレスを脱ぎ棄て、午後の光に裸体をさらして談笑する、パリからやって来た娼婦たち..。

 

 ピアラが捉えるゴッホは、「天才」あるいは「狂気」のオーラとは無縁の、ただの一人の人間だ。村人たちと言葉を交わし、しばしばガシェ医師宅を訪れ、絵を描き、飲み、時に笑い、女と抱き合う。2ヶ月をオーヴェルで過ごし、そこで死んだ、無骨で自分自身にのみ忠実な男。口を開けば周りの人間との軋轢を生んでしまう、人間的に不器用な面も含めて、どこにでもいそうな男。

 

 大きなキャンバスを背中にくくりつけ、広い麦畑を描きに出かける、あるいは、ガシェ医師の娘、マルグリットを描くゴッホ。ピアノを弾くマルグリットの姿勢を正しておいてから、その構図を崩してはならないと警告するかのようにピアノと娘に視線を留め、腰高の窓をまたいで庭に出て、セットしてあったキャンバスに大胆に筆を走らせるゴッホ。腕と身体を上下に動かしながら描くその姿、キャンバスに絵の具を重ね布でこする姿に、絵を描くことが時に肉体を酷使する作業にもなることをあらためて思わされる。

 

 肖像を描けと言ってつきまとう知恵遅れの青年をうるさく思いながら、それでも描いてやり、泣いている子供に「砂男」の絵を描いてやる、描く人、ゴッホ

 

 あるいは、週末、パリからやって来たテオ夫妻と共に、ガシェ医師邸の庭での昼餉を楽しむゴッホがいる。テオと一緒にロートレックの物真似をしては愉快そうに笑う。そしてマルグリットに、またパリの娼婦カティに好意を寄せられ、二人の間を行ったり来たりする。行ったり来たりとは言っても、優柔不断というのではない。向こうから近づいて来て与えんとする者から受け取ることはしても、自分からは進んで与えようとしないまでのことだ。そしてそんな男だからこそ、女たちは魅了されてしまう。それなりに人好きのする男でもある、ゴッホ

 

  だから、ガシェ医師が彼を「天才」と呼ぶ時、あるいは義姉のヨーが彼の人生を「破綻」と断ずる時、不意をつかれたような気がして動揺してしまう。

 

 天才? たしかに。10年間でおよそ1000もの油彩画を描き、一見して彼のものと分かる筆致で見る者に忘れがたい印象を残す画家を、天才と呼ばずになんと呼ぶのか。 

  破綻? たしかに。37歳にして、弟の金銭的援助を受けながら売れない絵を描き続ける男がいるなら、その人生はなるほど「破綻」しているとも言える。

 

 それでも、このスクリーンの中の男を「天才」「破綻」という極度のテンションを伴う言葉で括ろうとすれば、そこにかすかな違和感が生じてしまう。その違和感こそ、画家の名前に染みついたイメージを可能なかぎり削ぎ落としたところに人間ゴッホを映す、という姿勢に、ピアラが徹していることの証なのだと思う。

 

 終盤、テオとの関係が緊張を孕むにつれ、ゴッホの精神状態は不安定になる。僕は兄さんの絵が嫌いだ。ヨーにそう告白するテオ。たとえ兄さんがルノアールのように描いたとしても、その絵を好きにはならないだろう。兄さんが描いた絵であるがゆえに。

 

 テオが自分の絵を嫌っていることをゴッホは知っている。それに母親が自分の絵を捨てたことも。身近な人にさえ理解されないことの孤独。描いても描いても売れぬ絵。認められないことの苦悩(生前に売れた絵は、たったの一枚だけだったという)。

 

 腹部に銃弾を受けたゴッホが、背を丸め、ベッドに横たわる姿が、病で逝ったある人の末期の姿と重なる。静かに、だが確実に命の細っていく様子が、目に焼きつく。

 

 ピアラは画家の内奥の感情を過度に説明することはない。それだけに却って、作品を見終わった後も、画家その人にとりとめもなく思いを巡らしてしまう。

 

 「天才」「狂気」などという言葉は、それを使う側の人間のためにのみ存在する、物事を単純化するための記号に過ぎないのだと思う。人間の生の本質は、そうした記号には収斂され得ない幾多の要素にこそあらわれる。そんなことを強く意識させてくれる作品だ。ただ生きてあること。一人の人間の生が、何の言葉にも還元され得ないものとして呈示されるがゆえに一層強いリアルさを伴って、見る側の心を打つ。

 

 当初、ゴッホ役にはダニエル・オートゥイユが決まっていたという。もし演技功者のオートゥイユが演じていたら、まったく違う雰囲気の作品になっていただろう。デュトロン演じるゴッホのごつごつとした無骨さ、寄る辺なさは失われてしまったかもしれないなあ、と思う。

 

 1980~90年代、まだ映画のTV放映でノーカット・字幕版が珍しかった時代、「ミッドナイト・アートシアター」でピアラの「愛の記念に」を観た時の鮮烈な印象は今も忘れられない。まだ若かったサンドリーヌ・ボネールの、演技とは思えぬようなさま、ふてぶてしいとさえ言える貫禄がすごく魅力的だった。ピアラ演じる父親のエゴイストぶりと大きな意味での優しさに、役柄になのか、それとも役柄に透けてみえるピアラその人になのか、よく分からないまま、危険なものに吸い寄せられるかのように惹かれもした。

   「愛の記念に」のDVD化も期待します。

 

ヴァン・ゴッホ [DVD]

 

 

追記:パリのテオ宅での印象的なシーン。盥の上で身体を清めるヨー。その豊満な肢体と身体に水(湯?)をかけるポーズは、さながら一枚の絵のよう。泣き始めた赤ん坊をあやすかのように、口笛で鳥の鳴き声をまねながら、ゴッホが鳥の形の小物を「花咲くアーモンドの枝」に留めるシーンの静謐さ。

 

「フランク・オコナー短篇集」

フランク・オコナー短編集」

 Frank O'Connor 岩波文庫 阿部公彦訳

 

フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫)

 

 名前が似ているので、どうもフラナリー・オコナーと混同してしまうことの多かったアイルランドの作家、フランク・オコナーの短篇集。カタカナで書くと「オコナー」はもちろんのこと、「フラ」まで同じなので、名前だけで区別しようとするのは、なかなか難しい。実際に作品を読み、「アイルランド+短篇=フランク」という図式が頭の中でなじんでようやく、間違えることがなくなった。ちなみに村上春樹フランク・オコナー国際短編賞を受賞したのは2006年のことだった。

 

  イェーツが「アイルランドのチェーホフ」と呼んだオコナー。前回のブログで書いたマンローは「現代のチェーホフ」と呼ばれるが、同じ「チェーホフ」でも、当然のことながら、読後の印象はぜんぜん違う。「小説のように」で描かれたマンローの世界を、引きのショットで見せる映画にたとえるとしたら、「短篇集」中のオコナーの世界には、観客との距離がごく近い、小劇場での演劇、といった趣きがある。ひと癖もふた癖もある人間臭さ全開の登場人物たちが、舞台上で繰り広げる喜劇や悲劇。それを間近で見せられているような気分になるのだ。

 

  オコナーが生まれたのは20世紀初頭の1903年。訳者の阿部公彦さんの解説によると、ある時期IRAに関わっていて、当局に身柄を拘束されたこともあったという。 この短篇集では「国賓」と「ジャンボの妻」の二篇が独立闘争を背景にして描かれている。IRAと聞いてまず頭に浮かんでくるのは「キャル」や「クライング・ゲーム」といった映画なので、それ(IRA)がオコナーの時代にすでに存在していたということが、まずなによりの驚きだった。

 

 その「クライング・ゲーム」(ニール・ジョーダン監督)、実はオコナーの「国賓」をモチーフにしているのだという(wikipedia英語版より)。私の記憶にあるのは、惹かれていた「女性」の正体(実は男だった!)を知った主人公ファーガス役のスティーブン・レイが驚愕するシーンばかりで、肝心のストーリーはほとんど抜け落ちていたのだが、映画のあらすじを読むと確かに、捕虜と見張りの間の「友情」の話になっていて、「国賓」を下敷きにしているというのは、間違いないのだろう。

 

 オコナーの「国賓」に描かれているものを「友情」とまで言ってよいのかは分からない。でも少なくとも、同じ空間で共に時を過ごした者同士の仲間意識、のようなものとは言えて、読んでいて、その「仲間」同士のやりとりに心が少し和まされるところがあっただけに、非情な結末には何とも言えないやり切れなさを感じた。

 

 さておき「フランク・オコナー短篇集」。この短篇集を読んでいると、当時のアイルランド、それも都会ではない町や村で、人と人とがどのように関わりあいながら生きていたのかが見えてくる。物語の舞台はたいてい、誰もが誰のことをも知っているような、小さな共同体だ。各家の扉の内側で起きたことも、いつの間にか周りの住人たちに筒抜けになっているし、ひとたび人としての道に外れた行いなどしようものなら、つまはじきに合うこと間違いなし。人を裁くのは司法ではなく土地の住人たちだ。暮らしていれば少なからず息苦しさを感じてしまうに違いない。でも、そんな土地だからこその、密な人間関係が、そこにはある。

 

  どの作品も会話が生きているなあと思う。会話の中から登場人物たちの姿がくっきりと立ち上がってくる。人はどんな時に何を言うものなのか。人の心のあやをよく知る者にこそ書けるような会話がちりばめられている。他愛のない会話にしたところで、オコナーの手にかかると、会話というものはそもそも、その内容もさることながら、言葉のやりとり自体に意味があるではないか、という気にさえさせられる。オコナーの時代には、というより、オコナーその人に、「話す」ことに対しての無条件の信頼があったのだろう。

 

 どの作品もそれぞれに味わい深く、読むたびに新たな発見があって(前回読んだ時にはうまく掴めていなかったのだ、と気付くこともある)、何度読んでも楽しめる。頭をガツンとやられるような衝撃と、目の奥で何かがにじんでいくような切なさに襲われるのが、上述の「国賓」だ。無口なイギリス人捕虜ベルチャーは、死を覚悟した時、自らの身の上について語り出す。覚悟したように自らハンカチで目隠しをした彼は、これから行うことは「任務」なんだと強調する「仲間」に対してこんな言葉を投げる。

 

「俺には任務っていうのは何なのかわからない」ベルチャーは言った。

「お前らみんないい奴だよ。そのことを確認したいならな。恨みはない」

                       (60ページ)

 

 自分に銃を向ける人間に対して「恨みはない」と言えるだろうか、「いい奴だよ」と言われてなお「任務」の遂行ができるだろうかと、わが身に置きかえて考えずにはいられなくなるセリフだ。人間性のかけらもない「任務」が生まれ、それが遂行されてしまう武力闘争の虚しさ、愚かしさ。

 

  昔話を思わせるタイトルがほのかな笑みを誘う「あるところに寂しげな家がありまして」(There is a Lone House)。ある事情から村の住民たちと交わることなく暮らしている女の元に、風来坊然とした男がやって来た。いつしか一緒に暮らすようになる二人。やがて男は女の過去を知る。

 二人きりの閉ざされた空間でのやりとりに、男と女の微妙な心の揺れと、刻々と変化する力関係が映し出されるスリル。二人の間で見えない空気が押しつ押されつしている。シュールにしてリアル、不思議な魅力をもつ一篇。

 

 「ルーシー家の人々」。あることがきっかけで、ルーシー家の兄弟トムとベンの間に諍いが始まる。二人の間で板挟みにあうのはベンの息子チャーリーだ。病に倒れ死の床にある父ベンにせがまれ、和解を求めにトムの元に出向いたチャーリー。でも、トムはかたくなに態度を変えようとはしない...。

 ベンとトム、そしてチャーリー。三者の言い分がそれぞれに「なるほどなあ」と納得でき、誰にも感情移入できるだけに、こじれた人間関係の、そのどうにもならなさが身に沁みる。現実の世界に満ち満ちている、一族の間のいがみ合いの、縮図のような作品。

 

 「汽車の中で」 。何もない村からある目的のために町に出てきた警官たち、農民たち。村へと戻るため彼らが乗り込んだ汽車に、発車直前、一人の女が飛び乗った。車中で興じられるおしゃべりによって、彼らが町に出た理由と女の身の上が徐々に明らかにされていく。農民たちの一行に混じって老人が一人。永く生き、多くを見てきた人間に言わせてこそ、重みを持つ言葉がある。

 

「たしかに金かもしれん。金欲しさで、人を殺すことだってあるわな。土地欲しさで、人を殺すことだってある。だけどこれは何だ? 何かが変わりつつあるんじゃ。世の中が豊かになって、人は欲張りになってしまった。子供の頃、田舎じゃ、獲物を捕まえると六等分したもんじゃ。六分の一を自分でとって、あとはご近所さんにやった。魚を捕ったときもそうだ。人間は昔からずっとそうしてきたんじゃ。だが、この変わりようはどうしたことじゃ! 昔みたいに貧しくもないし、善良でもないし、人に分け与える気持ちもなければ、強い心もないときてる」   (301ページ)

 

 およそ80年も前に書かれた作品に、すでにこんなセリフが書かれているなんて。もしこの老人が今の世にいたら、いったい何を思うだろうか。

 汽車という閉ざされた空間で交わされる会話、会話。一幕物の戯曲に仕立て直して、舞台で見ても楽しいだろうなと思える一篇だ。

 

 

 

 

アリス・マンロー 「小説のように」

アリス・マンロー、「小説のように」

Alice Munro,  Too Much Happiness.

新潮社、クレストブックス、2010年刊。小竹由美子訳。

 

 マンローの短編集「小説のように」を、ここ何週間かをかけて読んでいて、何を書こうかとあれこれ考えていたところにノーベル文学賞受賞のニュースがあった。マンローとノーベル賞。発表日の朝、候補にあがっていることを知って驚いたぐらい、私の中では両者を結びつけて考えることがなかったわけだが、実績・年齢からいって、ありえなくないなあ、というか、十分ありえるじゃないか、と思ったら、やはりの受賞だった。英語圏女性作家というならば、もう一人の人のほうかなあ、という予想も個人的にはあったのだが、こうなると、そのもう一人のほうの受賞は、しばらくないのだろう。  

 

 「小説のように」。ここに収められている作品には、どれにも小さなトゲや毒がある。毒とはいっても、ドロドロした毒ではなく乾いた毒で、それが、読み進めていくうちに少しずつ読み手の中に蓄積されていく。

 

 一度にもたらされるトゲや毒は微量なので、読み手は毒が自分の体内に取り込まれていることに気がつかないでいるが、ある時突然、毒が飽和状態に達し、それ以上読み続けることに耐えられなくなる。「小説のように」を読むのはだから、後半結構しんどくて、途中から流すように読んでしまい、結局その後半部分を何度か読み返すことになってしまった。だが、毒にあてられた感覚があったにもかかわらず、読後感が意外なほどさっぱりしているのは、つまりはそれが短編小説の性質であって、重いしこりを残さない体のものだからなのかもしれない。いや、もしかしたらそうではなくて、話のそこここに顔を出す「非日常性」が作品に軽みを与えているせいなのかもしれないし、あるいは、どの話も何らかの意味で「最悪」をかろうじて免れながら生きている人々の話になっているからなのかもしれない。

  

 ある日あることがきっかけで、人生には自分には見えていなかった側面があることを知り、物の見方が変わってしまう。そんな、だれにでも起こる気付きと覚醒、成長(それはすなわち老いでもある)のプロセスを描くのがマンローはうまい。「小説のように」の中で、登場人物たちは、不条理で不可思議でときにグロテスクですらある出来事に遭遇する。彼らが自尊心を傷つけられ、足元をすくわれて動揺する姿に、同じ動揺を経験した者なら古傷のうずきを感じてしまうはずだ。一皮むけて、哀しくも一歩たくましい存在に変わっていく人々。変化の過程で感じる不安や頼りなさや諦念といったもの、傷つけられてもなおも残る自尊心、そして新たに芽生えたひそやかな確信を描いて、人間というもののしたたかさ、ひいてはマンロー自身のしたたかさを感じさせる。根っこの部分では、人間はけっこうしぶとい。

  

 もっとも印象的な一篇は「深い穴」だ。幼い子供と夫婦の一家五人で出かけたピクニックのシーンで幕を開けるこの作品。森の入口に立てられた、断崖への注意を促す標識に象徴されるピクニックの顛末と、その後の家族に起こる出来事が、数十年のスパンにわたって描かれている。終盤、長らく音信不通だった長男ケントと母サリーが久しぶりに再会して以降の展開が胸に刺さる。待ち合わせの場所に現れた息子の姿に激しく動揺するサリーと、会話の中で浮きぼりにされていく親子の間の価値観の断絶。

 

 彼の顔にさっと浮かんだ表情は凶暴と言っていいくらいだった。

「疲れないか、サリー? お利口さんでいるのに疲れないか? 悪いけど、こんなふうに話してるわけにはいかないんだ。やらなきゃならないことがあるからね」    (161ページ)

 

 親に向かってこう言い放つ、底知れぬ不気味さをたたえたケントの生々しい存在感が心に残る。

 

 英語版の表題作「あまりに幸せ」は、実在の人物、作家にして数学者であるソフィア・コワレフスカヤの人生を描いたもので、「小説のように」中の他の作品とは趣をまったく異にしている。歴史小説ミニチュア版といった感じのこの一篇は、 ソフィアに関連するエピソードを、時空間自由に並べていく手法をとっている。だが、それでソフィアその人をうまく描くことに成功しているかというと、必ずしもそうとは言えないような気がする。この一篇、個人的には、もっと長い分量で書いてもらって、じっくり読めたらよかったのになあと思う。それが少し残念だ。

 

小説のように (新潮クレスト・ブックス)

 

 

 

マルグリット・ユルスナール 「追悼のしおり」 (1)

 

 ユルスナール、「追悼のしおり」。  

 2011年、白水社「世界の迷路」シリーズの第1巻として刊行。

  Marguerite Yourcenar,   Souvenirs pieux.

 

   <母・父・私をめぐる自伝的三部作、第一巻>(帯より)

 「とどめの一撃」「ハドリアヌス帝の回想」「黒の過程」の著者で、女性初のアカデミー・フランセーズ会員となったフランス人作家、マルグリット・ユルスナールが、1974年に発表した作品。1年ほど前に読み始めたものの、半分読んだところで中断してしまっていた。今、最初から読み直している。

 

 自分が存在するよりずっと以前の時代の、歴史上の(架空のものも含めて)人物を鮮やかに描きだすことは、ユルスナールの得意とするところだ。この「追悼のしおり」は、ユルスナールの手による、父と母、そしてその一族の年代記。役所に残る古文書や、伝え聞いた話、写真、手紙、メモ類、郷土史や、その他の著作物など、さまざまなソースをより合わせて、18世紀の高祖父母から父母にいたるまでの一族のポートレートを、時代背景を織り交ぜながら描いている。

  

 登場する人物の多くは、ユルスナールにとって、近親者・祖先とはいえ、直接知ることのなかった、過去に生きた人々である。<自伝的>と銘打ってはいるが、「ハドリアヌス帝の回想」等と同種の歴史小説としても読めると思う。ディテールに裏打ちされたエピソードの数々。どこまでが史料を通じて知りえた「事実」で、どこからが著者の想像なのか、その境界がはっきりとは分からないまま、どこか煙にまかれるような気持ちで読み進めるうちに、ふと著者が姿を見せ、数十年、ときには百年超という時を一息に跨がされると、堆積した時間の厚みを感じずにはいられなくなる。描かれる人たちの息遣いまでもが聞こえてくるような場面も随所にあり、そんな場面を目の当たりにすると、まだ生まれていなかったはずのユルスナールに、なぜ、その眼で実際に姿かたちを見ていたかのような、そしてその心の中をすべて知っていたかのような、密度の高い描写ができるのだろうと思って、ため息が出てしまう。もっとも、それこそが、ユルスナールの真骨頂なのだが。

 

 全編を貫いているのは、人間という存在に対する静かな憐れみ。

 

 1903年、ユルスナールは、フランス貴族の末裔である父ミシェルと、ベルギーの良家の出身である母フェルナンドの間に生まれた。母フェルナンドはユルスナールを出産後、産褥熱のために31歳という若さで亡くなっている。母を死にいたらしめた出産。それは同時に著者の誕生の瞬間でもあるが、「追悼のしおり」は、その出産と、母の死をめぐるエピソードで始まっている。

 

 物心ついたときにはすでにいなかった母。その母と自分との間にある微かなつながりに関するユルスナールの言葉は、冷静そのものだ。 

 

数ヶ月間私は彼女の実質を養分として摂取したのだが、そういう事実に関する知識は、教科書で習った真理と同じく、冷ややかなものでしかない。

 

母親を早く喪うのはつねにひとつの災厄であるとか、母親を失った子供は欠乏感や不在の人への郷愁を生涯もちつづけるとかいう断言を、しばしば耳にする。しかし私は、そんな断言は間違っている、とはっきり言いたい。 

 

 自分の誕生と引きかえに命を失った母への感傷は、ここには一切うかがえない。自分の記憶のどこを探しても、姿の見えない人に対して何かを思おうとすれば、案外こんな言葉が出るものだろうか。実際には、フェルナンドを描くときのユルスナールの視線には、そこはかとない優しさが感じられるので、上の言葉が母に対する無関心からくるものではないことが分かってくる。そもそも、関心のない人間について、何かまとまった文章を書こうとなどとは思わないものだから。実際、ユルスナールはかなり若い頃から、自分の家系にまつわる作品の構想をあたためていたという。

 

 さまざまな資料をつなぎ合わせ、生まれた余白を想像力で埋めて、一人の人間を紙上に再現することは、その人間が生きた過程を追体験することに他ならない。母を描く過程でユルスナールは母の人生を追体験した。若くして逝かなければならなかった母。不自由ない暮らしを送りながらも、時代の空気からすっかり自由でいることはできず、自分の居場所を求めてたどりついたのが、父ミシェルとの結婚そして出産であった母の人生をなぞっていくうちに、同じ女性にうまれた者として、ある種もの悲しさを感じたのだろう。何かに情熱的を傾けたり失望したりしながら生きた、まだ若かった母。そんな母に、完璧な出来とはいえないわが子の、その至らなさゆえに、その子を思わず微笑ましく思ってしまう親のような気持ちを抱いたのだと思う。

  

 この作品を描いたときのユルスナールは71歳。登場人物たちの多くは、執筆当時のユルスナールよりずっと若い年齢で亡くなっている。そのせいだろうか、ユルスナールの彼らを見る目は、祖先であるにもかかわらず、まるで自分より小さな者を見ているかのようだ。もっとも、年齢は関係ないのかもしれない。歴史を見続けてきたユルスナールにとって、いつかは死にそして忘れられることを免れぬ人間は、憐れむべき慈しむべき存在であって、登場人物への視線にあらわれているのは、その思いなのだ。

  

 心に残る人物は、フェルナンドの母(ユルスナールの祖母)マチルドだ。20年間の結婚生活で11人もの子供を産み、最後はジフテリア性の喉頭炎にかかり39歳の若さで亡くなった。ユルスナールにとっては、「十九世紀の信心深い妻」のイメージそのものであり、『アンナ・カレーニナ』のドリーにもなぞらえている、心優しき女性。 

 

マチルドは体調さえよければ毎日、夏は五時半、冬は六時に、アルチュールの眠りを妨げぬようにそっとベッドを出て、村の教会の読誦ミサに与かるための身繕いをする。......(略)

教会と館をへだてるのは牧場だけ。マチルドは村の道よりその牧場を横切る近道のほうが好きだ。冬、彼女は平らに凍った氷や雪をできるだけ避けながら、上履きの木靴を褐色の草の茂みに置く。夏、その近道を通るのは無上の楽しみなのだが、マチルドは早朝のミサの魅力のほか、村の道から外れて自由に歩き回る楽しみも加わっているのを、完全には認めようとしない。

 

.......   ふたたび牧場を横切って帰るのだが、行きに踏んだところに足を置く。牧草を踏みつけすぎないようきをつけなければならないからだ。教会の椅子の上で過ごしたいくばくかの時間は、彼女自身そうとは知らぬまに自己への沈潜をふくんでおり、すでに過去のものと思っていた若さを、ほんの一時取り戻させる。彼女のなかを十八歳のころの生気が流れる。ときどき足をとめて、スカートにくっついたとげのある穂を取り除き、子供たちのように粒を指のあいだからこぼす。礼儀にさからって帽子を脱ぎさえする。髪に風の愛撫を感じたいのだ。

 

 

追悼のしおり (世界の迷路?)

 

                  (1)

 

 

 

ぺティナ・ガッパ 「イースタリーのエレジー」

読んだ本の感想などを記録する備忘録です。

 

 第1冊目は、ガッパ、「イースタリーのエレジー」(An Elegy for Easterly)。

 新潮社のクレストブックス。2013年6月刊。

 1971年ザンビア生まれ、ジンバブエ(旧ローデシア)で思春期を過ごしたペティナ・ガッパ Petina Gappah が、2009年に発表した短編集。

 

 「ジンバブエを知っていますか?」

 こんな問いかけが帯にある。

自分に対して問いかけるとしたら、「ほとんど知らない」という答えしか返せない。学生時代に「ローデシア」という名前で習った国が、現在のジンバブエだ。日本で生活しているとどうにも接点のない、ほとんど未知の国である。

 

 「ハイパーインフレ」、「エイズ」、「独立闘争」に「一夫多妻制」。ガッパの作品に描かれるジンバブエという国のイメージを大まかに言うとしたら、そんな感じだろうか。決して明るい希望に満ちた国には見えないジンバブエ。そこに暮らすさまざまな立場の人間を、ユーモアを交えて描いた作品13編が、「イースタリーのエレジー」には集められている。

 

 いまだエイズが流行し、一夫多妻制が現実にあるというアフリカ。ニュースで見たり、アフリカ関連の機関で働いていた知人に聞いたりして、アフリカに関する知識は少ないながらも持っていたつもりだったが、そうした知識はまさに単なる知識でしかなかった。

 

 作品中、登場人物たちは皆、自分の力ではどうにもならない出来事に翻弄される。ジンバブエにとどまるにせよ離れるにせよ、毎日いろんなパンチを食らいながら、自分の居場所を確保しようと悪戦苦闘している彼らの姿が、この不安定な日本という社会の中で、大変な思いをしながら生き抜いている私(たち)の姿にぼんやり重なって見える。読み進めていくうちに、遠い国についての断片的な単なる知識が、生身の人間の体温を伴った現実の出来事として、自分の中にインプットし直されていくのを感じる。

 

 それにしても、ジンバブエでの暮らしの厳しさは半端ではなさそうだ。

1年間で物価が97倍にもなり、パン1個が50万ドル(!)というハイパーインフレ。ブランチ、ランチ、パーティーにいそしみ、南アフリカまで飛行機で出かけていってショッピングする一部の特権階級が国を牛耳る一方で、厚手のビニールシートで四方を囲っただけの家ともいえない家に住む貧困層が、毎日の生活にあえいでいる。

 

 いつかとばっちりで自分も罹るかもしれない赤い唇の病、エイズもある。夫たちは、そろいもそろって妻以外の女性と関係をもっている。女たちも黙って泣き寝入りしているわけではない。妻も浮気する一方、愛人にも正妻の地位を得るチャンスはある。しかし「小さな家」の女から「大きな家」の女にのし上がれたところで、いつまでその地位に甘んじていられるかは分からない。

 

 貧しい者と富める者、男と女、先の短い老人と人生の何たるかをまだ知らぬ子供。まるでジンバブエという国の自己紹介をするかのごとく、いろんな立場の人物を登場させて、ガッパは一面的でないジンバブエ像を読者に示したかったのだろうか。彼らが置かれている状況は、どれも、ジンバブエという国特有の事情をはらんではいるけれど、彼らが笑ったり泣いたり、憎んだり、傷ついたりする時、「ああ、その気持、分かるなあ」と共感してしまえるのは、結局、人間のなすこと考えることは、世界のどこにいても大して変わりはしないということなのかもしれない。

 

 親類縁者同士が、ささいな優劣を競いあっては、優越感を満足させたり劣等感にさいなまれる姿。ふと息子に言ってしまった取り返しのつかない一言を悔やみ続ける母親。若き情熱に燃えた日々は過ぎ、倦怠期にある夫婦の心のすれ違いと、かすかな触れあい。ちょっとした心の機微をすくいとって、悲壮感を漂わせることなく、可笑しみさえ交えて描く。ガッパはそれがうまいなあと思う。

 

  時折出てくるジンバブエの地名や通り、店の名や、歌手、音楽ユニットなどの固有名が、日本人の自分には馴染みが薄く、その文化的な位置づけがつかめなくて(文脈から想像はできるが)歯がゆい思いもする。でも、こうした固有名こそが、物語に現実味を与えるスパイスになっているのだと思う。

 

 著者紹介によると、ガッパはジンバブエ大学卒業後、グラーツ大学で国際商取引法の博士号を取得、ケンブリッジ大学にも留学したとのこと。1998年からはジュネーブの国連世界貿易機関に勤務するも、2009年の本作発表後、2010年に帰国している模様。そんな経歴が影響しているのだろうか、留学した者とジンバブエにとどまる者との軋轢が、一度ならず描かれている。その描かれ方の中に、留学した側の人間であるガッパが、自分を揶揄するかのような視線が垣間見えて、面白い。

 

 それにしても、ガッパが、傍から見えば何の申し分もないような、輝かしい国際機関での職を捨てて、物書きの道に入ったのはどうしてなのだろう。

 

「エリオット、ピンター、ゴールディング、そんな文学者のことを覚えても、金が稼げるようにはならないのだ。アチェペ、マレチェラ、ダンガレンブガ、そんなアフリカの文学者を知ったところで何になる。いまどき求められる科目は、コンピューターサイエンス、会計学、経済学、経営学」   (「妥協」より)

 

今の時代、どこの国も事情は同じなんだなあと思う。

それでもあえて、文学で生きていくことを決意した。それは単に、多くを読んで自分でも書きたくなった、というだけのことなのかもしれない。でも、それに加えて

 

   「語られないこと書かれないことは事実にならない」

    (「軍曹ラッパが鳴り終えて」より)

 

という社会の中にあって、自分を含め、そこに暮らす人々が、たしかに生きているという、その痕跡を残したいという思いがあったりするのだろうか、と想像する。

 

  各短編ともどこか洗練された印象を受けるのは訳文のせいだろうか。訳者は小川高義。13編を訳してガッパ・ワールドを紡ぎ上げてしまう手腕に、今回も脱帽しました。

 

 ガッパのブログを見ると、彼女がどんなことに興味を持って生きている女性かがよく分かって面白いです。ブログ名は The world according to Gappah。

 

イースタリーのエレジー (新潮クレスト・ブックス)